『ゆるキャン△』をアニメで見ていた頃、自分は正直、あfろという漫画家の「絵の上手さ」をそこまで意識していなかった。
キャラクターはかわいい。
背景もきれい。
キャンプ道具も丁寧。
そのくらいの認識だった。
ところが最近、犬山あおい、いわゆる「イヌ子」を模写してみて、完全に認識が変わった。
この人、とんでもなく絵が上手い。
しかも、いわゆる「誰が見ても分かる上手さ」とは少し違う。
ものすごい筋肉を描くわけでもない。
画面いっぱいに細密描写を詰め込むわけでもない。
写実画のように一本一本を描き込むわけでもない。
むしろ逆だ。
ものすごく省略している。
そして、その省略された一本一本の線が恐ろしく正確なのである。
上手い人ほど、線を減らせる
絵をあまり描いたことがない人ほど、「たくさん描き込んである絵」を上手いと思いやすい。
もちろん、細密な絵を描けること自体はすごい技術だ。
けれど絵を描いていると、だんだん別の怖さが分かってくる。
本当に上手い人は、描かなくていいものを描かない。
人体の構造を理解している。
服がどう身体に乗るか分かっている。
髪がどこから生えて、どちらへ落ちるか分かっている。
重心がどこにあって、身体の重さがどこへ逃げるのか分かっている。
だから、数本の線だけで全部説明できる。
あfろの絵は、まさにこれだと思う。
一見すると柔らかくて、かわいくて、簡単そうに見える。
ところが模写すると全然簡単ではない。
輪郭を少しずらすだけで別人になる。
目をほんの少し上げるだけで表情が死ぬ。
髪の線を一本増やしただけで重たくなる。
元の絵ではさらっと引かれている線なのに、その一本がなくなると成立しない。
簡単に見えるということ自体が、技術の結果なのだ。
あfろの線には「重力」がある
自分が特に驚いたのが、重力だった。
漫画絵、とりわけデフォルメされたキャラクターでは、身体が平面的に見えてしまうことがある。
顔に目と鼻と口を置いて、髪をかぶせて、服を着せる。
記号としてキャラクターは成立しているけれど、「そこに人間がいる」感じが薄い。
あfろの絵は違う。
髪が頭に乗っている。
頬から顎へ肉がつながっている。
首の上に頭の重さがある。
肩から服が落ちている。
座れば身体が下へ沈む。
線は少ないのに、ちゃんと重い。
これは本当にすごい。
一本の線が単なる輪郭線ではなく、立体と重力を同時に説明している。
こういう線は、適当にかわいいキャラクターを描いていて出てくるものではないと思う。
大量に描いて、観察して、構造を理解して、そのうえで削り続けた人の線に見える。
イヌ子を模写して気づいた「犬」のデザイン
そして犬山あおい。
アニメを見ていた頃から、自分はずっと「変わった眉毛だな」と思っていた。
ところが模写していて、ふと気づいた。
これ、犬の耳なんじゃないか。
もちろん作者本人がそう明言しているという話ではなく、自分が絵を追っていて感じたデザイン上の読みだ。
犬山あおい。
通称イヌ子。
垂れ気味の目。
柔らかい口元。
人懐っこい雰囲気。
そして、あの独特な眉。
あの眉を犬の垂れ耳のような形として見ると、突然キャラクターデザイン全体がつながって見える。
普通なら犬キャラを表現するために犬耳を付ける。
あfろはそんな直接的なことをしない。
人間の眉毛というパーツの中に、犬の耳のニュアンスを埋め込んでいるように見える。
もしこれが意図的な設計なら、ものすごく洒落ている。
仮に意識的でなかったとしても、結果としてイヌ子の顔には「犬っぽさ」が自然に宿っている。
キャラクターデザインというのは、こういうことなのだと思う。
設定資料に「犬モチーフ」と書くことではない。
見た人が理由を説明できなくても、なんとなくそう感じる。
その「なんとなく」を形にするのがデザインなのだ。
扉絵を見ると、さらに異常さが分かる
あfろの上手さはキャラクターだけではない。
『ゆるキャン△』の一枚絵や扉絵を見ると、今度はデザインセンスの強さが目につく。
キャラクターをどこに置くか。
背景をどこまで描くか。
どこを空白にするか。
小物をどこへ配置するか。
画面のどこから見始めて、どこへ視線が流れるか。
全部が気持ちいい。
これは単純なデッサン力とは別の能力だ。
絵を描ける人が全員、一枚絵を格好よく構成できるわけではない。
人体が猛烈に上手くても、完成した一枚を見ると妙に窮屈だったり、全部同じ強さで描いてしまったりすることもある。
あfろの絵には「余白」がある。
そして余白が死んでいない。
描いていない場所までデザインされている。
この感覚を見ていると、自分は鳥山明を思い出す。
鳥山明と同じ「簡単そうに見える恐ろしさ」
もちろん絵柄も作品も全然違う。
それでも、鳥山明の絵に感じるものと、あfろの絵に感じるものには共通点がある。
鳥山明の絵も、一見すると非常にシンプルだ。
悟空の顔なんて、線の本数だけ数えれば驚くほど少ない。
メカも丸っこくて親しみやすい。
ところが真似すると全然似ない。
なぜなら、残されている線が全部必要だからだ。
シルエットがいい。
形が整理されている。
立体が分かりやすい。
重さがある。
余白がきれい。
一枚の画面として気持ちいい。
あfろの絵にも、それと同じ種類の「簡単そうに見える恐ろしさ」がある。
だから自分には少し不思議なのだ。
漫画家の画力ランキングみたいな話題で、あfろの名前をほとんど見た記憶がない。
もっと名前が出ていいと思う。
「画力」という言葉が狭すぎるのかもしれない
世間でいう「画力」は、ときどき意味が狭い。
細かい。
リアル。
筋肉がすごい。
背景がすごい。
迫力がある。
そういう分かりやすい能力ばかりが評価される。
でも本来の絵の上手さには、
省略する力。
形を整理する力。
キャラクターを一目で認識させる力。
少ない線に立体を持たせる力。
重力を感じさせる力。
余白を使う力。
一枚の画面をデザインする力。
そういうものも全部含まれるはずだ。
その基準で『ゆるキャン△』を見ると、あfろは相当に上のところにいる漫画家ではないかと思う。
模写すると、漫画の見え方が変わる
イヌ子を描いてみようと思わなければ、自分もここまで気づかなかったかもしれない。
見るだけなら「かわいい絵」で通り過ぎてしまう。
でも実際に線を追う。
輪郭を描く。
眉を描く。
目を置く。
髪を落とす。
そこで初めて分かる。
なぜ、この一本がここにあるのか。
そして気づく。
この絵、めちゃくちゃ考えられている。
最近は『ゆるキャン△』を読むと、話より先に線を見てしまうことがある。
扉絵を見るたびに、
「なんでここに置いたんだろう」
「なんでここを描かなかったんだろう」
「なんでこの線一本でこんなに重さが出るんだろう」
と考えてしまう。
漫画を読んでいるというより、ときどき教科書を見ている気分になる。
あfろ先生、もっと画力で評価されていいです
『ゆるキャン△』は、キャンプ漫画としてものすごく成功した。
アニメも大ヒットした。
キャラクターも愛されている。
舞台になった土地へ実際に足を運ぶ人まで生まれた。
だからこそ、作品の魅力を語るとき、キャンプや旅や空気感の話が中心になるのも分かる。
でも、自分はもう一つ言いたい。
この漫画、絵がとんでもなく上手い。
かわいいから上手いのではない。
リアルだから上手いのでもない。
描き込んでいるからでもない。
必要なものを理解して、必要な形に変換して、必要な線だけを置いている。
そのうえで、キャラクターとしてかわいく、漫画として読みやすく、一枚絵として美しい。
こんなに高度なことを、何でもない顔をしてやっている。
そこが一番恐ろしい。
イヌ子を一人模写しただけで、自分は完全にやられた。
今まで『ゆるキャン△』を見ていて「あfろ先生、絵が上手いな」と思っていた人も、ぜひ一度キャラクターを模写してみてほしい。
たぶん途中で、
「あれ? この絵、思っていたより何倍も難しいぞ」
となる。
そして原稿をもう一度見る。
すると、それまで単純に見えていた線が、もう単純には見えなくなる。
自分は今、かなり本気で思っている。
あfろは、もっと「画力の高い漫画家」として語られていい。
むしろ、これだけ上手いのにその上手さを主張してこないところまで含めて、ものすごく格好いい漫画家だと思う。
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